「先生、それで左手は……」
「少々神経を痛めておるが外傷はなし、骨も正常じゃ。少しの安静後、リハビリをすれば元通りになるじゃろう。では、お大事に」
「ありがとうございます」
 ヴァージルは中心街から離れた屋敷で、往診にきた老医者を見送った。
 懸案事項だった斗樹の左手は、幸いにも大事には至らなかったらしい。ヴァージルは1人、胸を撫で下ろす。しかし、一番の懸案事項は何よりも斗樹自身だった。

「トキ、入るよ……?」
 静かにドアを開ければ斗樹はベッドの上で上体を起こし、窓の外を見ていた。左手には真新しい包帯。斗樹は、寝るか食事を摂るとき以外は外を眺めてばかりだった。
 ヴァージルに嫌な記憶が呼び起こる。妻の死後、無気力だった子供の姿。
「左手は、リハビリをすれば元通りになるそうだ。よかったね」
 あの事件後、『オルブライト家』は一悶着あった。斗樹を狙った暗殺計画。それに加担した者たち。そのなかには重役に名を連ねる者たちもいた。そういった者たちは重役を解任され、監視のもと軟禁された。ある程度の自由はあるだろうが、閉じ込められた屋敷から『生きて』出ることは叶わない。
 ヴァージルは、これ以上掛ける言葉が見つからなかった。
 斗樹は本気でルーファスに恋をしていた。好きになった。愛していた。それが裏切られたのだ。ルーファスの『本当の願い』が『自分を消してもらう』ことだとしても、彼が斗樹の気持ちを裏切ったことには変わりはない。
「……本気だった……嫌じゃなかったんだ……本気で俺は……」
 ポツポツと、戯言のように斗樹は呟く。行き場のない慟哭。やりきれない焦燥。ぶつけたい、ぶつけるべき相手はもういない。
 遅れて、室内に朱砂が入ってくる。そういえば、こんな時に朱砂が斗樹の側を離れているとは珍しいこともあるものだと、ヴァージルは思った。
 朱砂は脇目もふらずベッドに腰掛け、斗樹に寄り添う。その左手を優しく包み、その掌にあるものをのせた。
 煙草の箱だ。赤い色が特徴的な……そう、ルーファスが吸っていた煙草。
 中はカラ、と思ったが何か入っている。蓋を開ければ、何重にも折りたたまれた厚手の紙が入っていた。朱砂はその紙を取り出すと、丁重に開いていく。
 それは写真。あの日、見せてくれた夕日の街。ルーファスがお気に入りだと言った情景。
「なんで……っ」
 斗樹は右手で写真を握り締めると投げ捨てた。写真は力なく床へ落ちる。
「…………約束」
 ポツリと、控えめに囁かれた言葉。めったに聞けない朱砂の声色。
「同じ……思う……想う……斗樹を…………生かしたかった」
 同じ。朱砂も、ルーファスも、斗樹に生きていて欲しかった。ただそれだけなのだ。だから朱砂は躊躇なくその刃を振り下ろした。ルーファスは最期まで『刺客』を演じきった。
 斗樹は、朱砂の肩へ顔を埋める。涙が頬をこぼれ落ちた。



 ずるい人

 愛しくて
 憎くて

 それでも 確かにそこに 愛はあったのだ……