――ピッ
『……わかっているな、時間の猶予はもうない。決行は今日のパーティーだ。諸々の用意はこちらで行う。おまえの目的はただ1つ。
 誰のおかげで生きていられるのか……重々わかっているだろうが、失敗は許されない。必ず殺せ、よいなっ!』
 ガチャン、と耳元に不愉快な音がこだまする。
「……わかってるよ。そのために私は生かされた」
 わかっている。これが、最期だということも。



 煌々と燐くシャンデリア。豪華絢爛な数々な料理。そろそろ場違いな気がしてきた斗樹は、ゲッソリしていた。そもそも一個人の誕生パーティーとしては半端なく規模がでかい。
 もちろん斗樹をゲッソリとさせていたのは、それだけではない。
 『オルブライト家』現家長の誕生パーティー。すなわち、プライベートパーティー。出席者は全て直系に傍系分家それに列なる、ありとあらゆる人々。そのうえ、人間だけではない。裏社会に属す術師たちの使い魔たちも列席しているのだ。
 そうなると、必然的に注目の的が斗樹のそばにいることになる。
 朱砂――『オルブライト家』至高の上級精霊『カルミヌス・ノクス』。オルブライト家に列なるものなら誰しもが思い馳せる伝説の存在。
 肝心の朱砂は突き刺さる羨望の視線などお構いなしに、べったりと斗樹の側に張り付いている。羨望の視線に混じって、妬みの視線も感じる。もういい加減にして欲しい。
「トキ、トキ。眉間に皺がいっている、はいリラックス」
 反対隣には父ヴァージル。だから余計に目立つ。それでも退席はしない。会ったことはないが、自分にとって父方の曾祖父にあたる人の誕生パーティーだ。
 そして、半分とはいえ異国の血を継ぐ自分に「オルブライト」の名を与えてくれた人。祝わない理由はない。
 ホール入口が騒がしくなる。多くの取り巻きを引き連れ、ホールへ入ってきたのは車椅子に乗った老人――『オルブライト家』最高権力者。
 もうだいぶ前から足の筋力は衰え、車椅子無しでは移動すらままならないという。しかし厳格な表情そのままに、『オルブライト家』一族を取りまとめる威厳と権威、尊厳は今も霞むことなく備わっていた。
 多くのものたちが一斉に家長へと駆け寄る。話す内容は様々。しかし、少しでも家長に取り入ろうという思惑はありありと分かった。
 たとえ家族でも、自分がのし上がるためなら蹴落とし、踏み台にする。それが『オルブライト家』の暗部。
 家長がボソボソと付き人に耳打ちをする。それを受けた付き人は、家長に一礼し側を離れる。そのまま、ヴァージル斗樹親子の元へきた。
「ヴァージル様、並びにご子息のトキ様。大旦那様がお呼びです」
 家長直々のお呼び出し。それを断ることはできない。

「お久しぶりです、お祖父様。ご機嫌麗しく」
 ヴァージルは当り障りのない言葉で濁す。相手はおいそれと出会える人ではない。ましてや、自由奔放で異国の娘を妻に迎えたヴァージルは、『オルブライト家』の汚点。オルブライトの名を剥奪され、一族を追い出されなかっただけマシなのだ。
 家長の視線はしばらくヴァージルを眺め、そのまま流れるように斗樹へと移る。切れ長の眼光は、ますます冴え渡っていた。
「トキ……だったな」
「……あ、はいっ」
 突然、自分の名前を呼ばれ斗樹は慌ててお辞儀をする。
「…………これより君は別れと出会いを知るだろう。それは決して、辛いものでも優しいものでもない。心するが良い」
 若かりし頃、家長は未来をよめたという。今はすっかり衰え、それどころか最近では口を開くことすら珍しいという。
 ついで、視線は朱砂に映る。
「生きて……お目見えする日がこようとは……」
 この人も、一度は夢み挫折したのだろう。至高の夢を。叶わぬ願いを。
 一呼吸、家長が目を閉じる。そして再び瞼を開ける。
「ヴァージル、話があるそうだな……」
 どこか重々しい言葉に、ヴァージルもまた表情を引き締める。少し席を外すと斗樹に伝えると、ヴァージルは家長とともにホールを出ていった。









 ホールには悠々とワルツが流れる。斗樹はダンスの誘いをすべて断り、壁際で1人佇んでいた。
 反芻するのは家長の言葉。別れと出会い。辛いものと優しいもの。相反する要素。
 ……わからない。その言葉の意味、その意図。
「トキ様」
 名前を呼ばれ、振り向けばそこにはルーファスがいた。
「ルーファ……なんでここに」
 そういえばルーファスは『オルブライト家』の使用人だったことを思い出す。屋敷を出る時は別々だったが、彼がここにいても何ら不思議はない。
「トキ様……少しお時間いただけますか? ここでは人が多いので……外へ」
 斗樹は二つ返事で応える。拒否する理由などなかった。



「ルーファ、どこまで行くの?」
 斗樹はルーファスの後をついていく。広大な庭園のやや奥まったところ、パーティー会場からは死角になっている場所だった。
 人気はない。異様なまでに静まり返っていた。
「ルーファ、話ってな――っ!?」
 突然、耳鳴りが走る。空気が変わる。不自然な威圧感。ぐるんと視界がまわる。これは。
「結界っ!? どうして……」
 術師の気配はしなかった。そもそも、こんな場所で結界が張られるのか、その理由がわからない。
「ルーファ、様子がおかしい。もど――」
 斗樹がルーファスに近寄ろうとしたとき、それを止めたものがいた――朱砂だ。
「朱砂!?」
 斗樹に静止するよう、朱砂は腕で引き止める。空いた腕の手には、漆黒の斧が携えられていた。
「朱砂、どうした? なんで武器を…………ルーファ?」
 様子がおかしいのは、どうやら朱砂や周囲だけではない。先を行っていたルーファが立ち止まり、こちら側を振り返っている。どうしてだろう、ひどく、形が、ぼんやりする……。
「少し昔話をしましょう」
 感情のない声色が、不気味だった。
「ルーファ?」
「2年前、ある実験が行われました。召喚の儀――『カルミヌス・ノクス』を召喚するための大規模な実験でした。結果は、失敗。その代償は酷いものです。召喚の儀に巻き込まれた多数の精霊たちは死の国へと旅立ちました。生き残った精霊も、もはや精霊とは呼べない状態で……ほとんどが処分されました――たった1体だけを残して」
 息をするのが辛い。空気が肺に重くのしかかる。
「彼はかろうじて生きていました。意識もある、自我も残っていた。でも、命の砂はつきかけていました。彼は願った。『生きたい』と。その生への執着心が彼を生かしました。どんな汚れた存在になろうと、二度と精霊とは呼べない存在になろうと、彼は、自ら堕ちることを選択した」
「それは……誰の話……?」
「……『ルーファス』」
 背筋が凍る。
「『私』の話ですよ、トキ様」
 堕ちた精霊『ルーファス』。
 ルーファスの周りの闇がゾワゾワと騒ぎ出す。いち早く行動を起こしたのは朱砂だった。斧を振り上げ、闇を切り裂く。しかし実態を伴わない闇に効果はなく、離散した闇がすぐに集合体へ戻る。
「カルミヌス様、申し訳ありませんが貴方様のお相手をするつもりはありません。用があるのはトキ様だけですから」
「――!」
 闇が朱砂の周囲を取り巻いていく。何度薙ぎ払っても闇は一向に消えない。それどころか、ますます厚みを増し、ついには斗樹と引き離された。足止めだ。
 術師としてもまだまだ未熟だと自覚している斗樹にとって、朱砂は自分の身を守る頼みの綱でもあった。それを取り上げられた以上、自分の力で自分の身を守るしかない。
「ルーファ……なんでこんな……」
 斗樹は混乱していた。自らを『精霊』だと告白したルーファス。敵意を見せている朱砂。そして、ひしひしと肌に感じる殺意。
「私があなたの世話役を任されたのは偶然ではないと言ったら? 明確な目的を持ってあなたに近づいたとしたら?」
 笑う顔は、それまでの知る姿からは想像できないほど冷たい色をしていた。
「あなたの命を狙う刺客は、いくらでもいる……『私』も、例外ではない。
 チャンスを待ちました。あなたは常にカルミヌス様に守られていた。下手に動けば、無事では済まされないですから」
「……どうして、ルーファが……」
「交換条件ですよ。私は『生きたい』、生きていたい。だから、どんなことでもやる。生き残るためならどんな汚辱も受け入れる。言ったでしょ? 男役も女役もどちらも経験があると……そういうことです」
「……じゃあ、俺を抱いたのも……俺と……っ」
「あなたの信頼を得るため。あなたが私に依存すればそれだけ隙ができやすくなる。ああ、確かに。あなたの体は心地よかった」
「俺を……好きだといったのも……全部……」
 ルーファスは何も答えない。でもそれが、答えなのだ。
「死にたくないのなら、抗ってください。無抵抗なものを嬲り殺す趣味はありませんから」
「――ルーファスっ!!」
 斗樹は激高する。
 ジャケットの懐から取り出したのは、漆黒の色に統一されたカードの束――シジル魔術。その束から目的のカードを引き抜き、それをルーファスへ向けて放り投げる。
 カードはパッと瞬くと、巨大な爆炎と膨れ上がりルーファスを飲み込んだ。
 もちろん、本物の火が吹いたわけではない。斗樹の使うシジル魔術は視覚に作用し、幻覚を見せることで精神や神経に錯覚を与えるもの。シジル自体の殺傷能力は高くはない。しかし常人であれば、十分に効果はある。
 そしてその効果の威力は、術師の精神力にかかっていた。
「ダメですよ、迷いを持ってたら。あなたの力はそんなものではないはずでしょう」
「――っっ!?」
 背後から声を響く。同時に体を後ろに引き倒され、受け身を取れなかった斗樹はそのまま地面へ叩きつけられた。
「かはぁ・・っ!」
 衝撃が心臓と肺を貫き、気道が詰まる。後頭部も強かに打ち、視界が揺れる。体中がズキズキと痛みを訴えていた。
 頭上にはルーファスの姿。いつの間にか、斗樹の左手を握りしめていた。
「もうわかってますよ、ここに……契約痕があることは」
 斗樹は目を見開いた。
 契約痕。朱砂との契約の証。誰もが求めた、力の象徴。
「契約を交わした術師とその使い魔は、お互いの感覚がリンクしているといいます。しかも契約痕はその要」
 ルーファスが指に力を込める。ミシリ……となった。
 絶叫。骨を砕かんばかりの力が左手を圧する。斗樹は体を捻って逃れようとするが、力の差は歴然で、左手は開放されない。
 同時に朱砂の膝から力が抜け、体勢を崩す。斧を支えに立っているのがやっとの状態だ。
「カルミヌス様との契約は、術師の死をもってしか解除されない。だから、あなたの死を望むものは多い」
 斗樹が生きている限り、死が2人を分かつまで、朱砂は斗樹の使鬼で在り続ける。それは覆ることのない事実。だからといって契約解除が果たされたとしても、何も残らない。朱砂はあるべき居場所へ還るのみだ。
「どうしてだよ……どうして……どうしてルーファぁあ!!」
 痛みを紛らわすかのように斗樹はわめく。
 わからない。わからない。考えても、考えても、なにもわからない。
 好きだといってくれたのはすべて嘘だったのか。愛しているといったのも嘘なのか。抱いて、抱かれて。あの日々も、すべて――最初から仕組まれていたことなのか。
「そうです、最初からあなたを欺くためのもの。愛を囁けば誰もがすぐに陥落する。人は常に繋がりを求め、飢えている。あなただって、そうだったのでしょ?」
「違う……、俺は……っ、本気で……ぐぅう……」
「……あっけないものですね。『オルブライト家』創設者の再来とも目されたあなたが地に伏し、私の下で足掻くのは」
 斗樹の左手は、血の気が失せたかのように白く変わり始めている。
「さて……無駄話もここまでです。さすがにそろそろ、バレる頃合いですしね。お別れです、トキ様――もう二度と、逢うことはないでしょう」
 闇の刃を握り締める。命の砂を断ち切る凶刃。
「…………」
 ルーファスは、そっと斗樹の左手を見やる。背を向け、蹲る斗樹の表情は見えない。当分の間、この左手は使いものにならないだろう。骨を砕く、まではいかないものの無事とはいいがたい。
 もう一度、指は動くだろうか。そんな心配、今更、だ。
「…………」
 おもむろに込めていた力を抜く。斗樹は逃げない――そう思ったときだ。
 ルーファスの手首を斗樹の右手が掴む。爪が食い込み、痛みが走る。それすらも、自分の裏切りに比べれば些細なことだとルーファスは甘んじて受けた。
 背筋がゾクリと粟立つ。
――来る
 目覚める。古の血が。眠っていた狂気が。純血のケダモノ――『オルブライト』の血が。
 ルーファスはその手を振り切り、突然その場を飛び退いた。間髪入れず、立っていた場所に無数の針の山が突き出す。その情景はまるで血で染まった地獄。
 確認しなくてもわかる。これは『カルミヌス・ノクス』――朱砂の力。血液を変幻自在に操る力。
 ゆらりと斗樹が上体を起こす。左手を庇いながら、それでも全身から発する空気は純粋だった。向けられるエメラルド・アイ翠玉色の瞳に浮かぶのは、純然たる殺意。

 ああ、その視線で死ねるのなら、本望だ。

 背後から迫り来る漆黒の輝きを、ルーファスはただ待った。









 最期の顔は どこか晴れ晴れとしていて

 彼の『本当の願い』がなんだったのか

 知ったのはその刹那だった――









「トキ! どこだトキっ!!」
 庭園をヴァージル、その後ろにハロルドと連れ立って駆ける。突如出現し、外界とを拒絶した結界が、出現した時と同様に突然崩壊した。破壊されたのか、それとも不測の事態が術師に起こったのか。詳細はわからないが、その結界に斗樹が囚われたのだけは唯一わかっていることだった。
 奥まったところまで行き着いたとき、ヴァージルは足を止めた。薄明かりの中に人影が立っている。身長を超える斧を手に、直立不動で立つ女性的フォルム。特徴的な服が目印になった。朱砂だ。
 その傍らには蹲る人影。
「トキ……?」
 雲が晴れ、月明かりが差し込む。そして、ヴァージルとハロルドは息を呑んだ。
 蹲っていたのは斗樹だ。その腕には、ボロボロに朽ち果てた珍しい花が収まっている。しかし、大人2人が息を呑んだのは『それ』ではない。
 斗樹と朱砂を中心に、夥しい血痕が地面を濡らしていた。2人のものではない。死にかけの体を禁呪によって繋ぎ止められていたルーファスが、生き続けるために得た犠牲者たちの血だ。
 朱砂の斧がルーファスの体に刻まれた術式を解き放ち、『生』というシガラミから解き放たれた瞬間、それぞれが本来の姿へと還ったのだ。
「……ぅ……ぅ……うぅ…………」
 斗樹はただ、静かに泣いていた。母の死には流さなかった涙が、頬を濡らす。腕に抱いた花は乾き、サラサラと塵へ還っていく。
 命の花、命の砂。朽ち果てた花は、くすんだ赤い色。

 それが ルーファスの 命の形