斗樹は、ベッドのなかで惰眠を貪っていた。
 招待状通り、連日の会合への出席。それは、表だったり、裏だったりと様々。そして、その先々で受けるのは羨望と妬み、憎悪の視線だ。
 引きこもりたい。正直、そんな心境だった。
「トーキーさーまー。起きてください、シーツが代えられません」
 頭上からは、そんな事情など察してもくれない声が掛かる。
「ルーファスさんは元気ですね……」
「健康な体は大事な資本ですからね。病弱じゃ、この仕事はやっていけませんよ。はい、起きてください」
 今日は会合がない。だからもう少し寝ていたかったのだが、仕方ない。どうやらルーファスは仕事の鑑のようだ。
「朝食は支度しております。今日は天気がよろしいですから、食後に散歩でもなさったらどうですか。気持ちいいですよ」
「……考えとく」
 あくびを噛み殺し、寝室をあとにする。眠気眼で階下に降りれば、食卓には出来立ての朝食が鮮やかに並んでいた。
 「いただきます」と手を合わせ、カリカリに焼けたトーストを食む。美味しいことは美味しいが、連続してパン食やら洋食が多いと日本食が恋しくなる。そこまでわがままをする気はないが。
 朱砂はデッキに寝そべって草花を眺めていた。不意に、首をもたげる。
 はて? と思っていれば、それは唐突にやってきた。
 遠くで何かが開く音がしたと思えば、バタバタと駆けてくる足音。そして、至近距離で扉が勢いよく開かれた。
「Hey! Good mooooorning, my honey!!」
 その勢いのまま、たくましい腕が斗樹を抱きしめる。
「おはよう、親父」
 朝だというのにテンションの高い父ヴァージル。正直、食事中で。正直、首にそうやって腕をまかれると食事の邪魔で。というか、髭が地味にいたい。
「ヴァージル様、トキ様が困ってますよ。食事中の邪魔をなさるのは、いただけません」
 ベリっと、あっけなくヴァージルを引き剥がすハロルド。一方のヴァージルは、久方ぶりの息子との感動の再会に抱きしめて何が悪いと駄々をこねている。子どもかっ!
「申し訳ありません、トキ様。ヴァージル様ときたら、会いたい会いたいと駄々をこねまして。このような朝方からのご訪問となりました」
 ヴァージルに代わって、秘書のハロルドが深々と謝罪する。あー、うん……と斗樹は覇気なく答えた。とりあえず、食事をさせてください。
「トキ様、何かありましたか!」
 上階から慌ててルーファスが降りてくる。階下で突然起こった騒ぎに気づいたのだろう。斗樹と朱砂以外の姿を見つけ、居住まいを正した。
「これはヴァージル様、お訪ねとはお気づきになりませんでした」
「いいよいいよ。僕のほうから勝手に押しかけたからさ」
 ハロルドはやはり険しい表情を覗かせる。あからさまな警戒だ。それを知ってから知らずしてか、ヴァージルは使用人でもあるルーファスにもフレンドリーに話しかける。
「僕たちすぐに会社に戻らないといけないけど、これからも斗樹のことよろしくネ!」
 訪れた時と同じように、帰るときもまた嵐のようにヴァージルは去っていった。秘書のハロルドが、呆れ顔でため息をこぼしてはいたのは秘密だ。



「ルーファスさんって、いつからこういう仕事を?」
「はい?」
 昼食も終え、デッキで寛いでいた斗樹は、シーツの取り込みをしていたルーファスに何気なく声をかけた。
 問われたルーファスも意外な質問だったのか、目を瞬かせていた。
「あ、いや深い意味は無いんだ。その………………ごめん、喋りたくないことならいいよ。ほんとに深い意味はないから」
 考えなしに呟くものじゃないな、と斗樹は自嘲した。
 ウッドチェアに蹲る斗樹の姿を見て、ルーファスは表情を緩める。作業する手を休めることなく、口を開いた。
「『オルブライト家』に助けられてなかったら、今頃私はここにはいません」
「――え?」
 斗樹は勢い良く顔を上げる。ルーファスは背中を向けたままで、その表情は窺い知れない。
「死にかけていたところを助けられたんです。私は、まだ、生きていたかった。だからどんなことをしてでも、生き延びたかった。だから、感謝しているんです。どんな形であれ……『生きる』道を与えてくれたことは」
「……強いね、ルーファスさんは」
「違いますよ。死が怖かっただけです。誰にも知られず、『自分』という存在が消え去るのが恐ろしかっただけです」
「それでも……強いと思う。生きたいって願ったからこそ、そのチャンスをものにしたんだから。俺は――」
「トキ様?」
 最後の言葉は一陣の風にさらわれ、ルーファスの耳には届かなかった。
「ちょっと散歩してくる。朱砂」
 朱砂はすかさず斗樹のあとをついていく。その去りゆく背は、どこか小さく感じられた。









 話すつもりはなかった、自分の身の上など。それなのに、するすると口は言葉を紡ぐ。さすがに肝心な部分は話さなかったが、嘘はひとつもなかった。
――強くないから
 風にかき消された言葉。きっとそれが、『彼』の本当の姿なのかもしれない。
 
 『これ』はなんと呼ぶのだろうか。
 見上げる空は青いだけで、応えはかえってはこなかった。