日は沈み、夜の街に賑やかなジングルベルが鳴り響く頃。

「Hey! My honey! パパのお帰りだよー!!」
 玄関戸が開かれるのと同時に届く、陽気で綺麗なイギリス英語。勝手知ったるなんとやらとばかりに、男は家のなかへと突き進む。
「トキぃー?」
 居間へと続く仕切り戸を勢い良く開けば、視線の先に立っていたのは老夫婦。
「おかえりなさい、ヴァージルさん」
「おかえり。遅かったな」
 老人のその手には上物のワイン瓶。居間に置かれたテーブルには、食欲をそそる数々のごちそうが並んでいる。
「ただいま帰りました。フライト時間が遅れたもので。ところで……トキは? いずこに?」
 金髪碧眼の男――ヴァージル・オルブライトは愛する一人息子の姿を探す。例年なら祖父母の手伝いをしているのだが、今年は影すら見当たらない。
「斗樹さんならお知り合いのかたのところに行くといって、出かけてますよ」
「え?」
「そのまま泊まるとも言っていたな。さぁ、食べようか」
「え? え?」
 戸惑いを露わにする男を尻目に、老夫婦はさっさと着席し。男は暫く言葉を失い。
「……と……ときぃいいいいいいぃい」
 次いででたのは、情けない絶叫だった。





「――では。メリークリスマス!」
 カチン、と。グラスが触れ合う音が、静かな室内に響いた。

 仕事を終えて帰宅した男の家に青年が訪れたのは少し前。いくつかの紙袋と、綺麗に包装された筒状のものを携えていた。それらはいま、リビングのローテーブルの上に広げられている。
 豪華、とまではいかないものの、食欲をそそらせる料理の数々。量はさほど多くはない。ニ、三人がいれば食べきれる量だ。
 包装紙に包まれていたものは上物のロゼワイン。青年曰く、親のコネを使ってわざわざ取り寄せてもらったらしい。男は特に何の感情も浮かべず、聞き流した。
 グラスのなかで揺れるワインの色は淡い赤をしている。クチをつければ、不思議と飲みやすい味をしていた。
 料理もよく見れば、細かいところにまで手が込んでいる。
「じいちゃんに作ってもらったんです。俺が言うのもなんですが、じいちゃんの料理はおいしいですよ」
 青年は陽気に笑う。傍らで目を輝かせて、料理を眺めている子供の姿を認めると、さらに嬉しそうに表情を緩ませた。
「わたあめさん、楽しい?」
「うん!!」
 十二月二十四日。クリスマスの前夜祭――すなわちクリスマスイブだが、だからといって男の家にツリーがあるわけでもない。派手に飾り付けをしているわけでもない。慎ましやかに広げられた料理だけだ。
 それでも子供にとって侘しい時間を過ごすより、誰かとともに祝えるということのほうが嬉しいのだろう。「寂しい」ことに関しては人一倍敏感な子供なのだ。
「遠慮しないでいいからね」
 頬を紅葉させて頷く子供を見守りながら、青年は男に視線を移す。
「舟水さんはクリスマス、どう過ごしてたんですか?」
 グラスに注いだロゼを味わうようにコクリと喉を潤しながら、青年は問う。単純な興味なのだろう。
「なにも。クリスマスを祝ったことはないな」
「……え?」
 逆に意表を突かれたのは青年の方だった。
「そう……なんですか。でも、どうして」
「祝った試しがないから、それが当たり前になってた」
「……そうですか」
 意外すぎる言葉だと思えば意外だし、この男らしい言葉だと思えば男らしいとも思える。
「…………でも……俺は嬉しいですよ? 好きな人と一緒に祝えるのは」
 ポツリと呟かれた言葉に、男は視線を向ける。少しだけ俯いた頭、それでも男を伺うように見つめる青年の顔はどこか嬉しそうだった……





 夜の闇も深まり、灯りのない室内は薄暗い。そんななかで重なりあうのは二つの影。
 ベッドの上に座る青年を跨ぐように、男が腰を下ろしている。背中側に回された腕は男の腰を抱き、啄むようなキスの雨をその胸元に降らせている。
 もう一方の手が男の秘所に伸ばされ、グチグチと指先で弄られた先端はすっかり濡れている。ゆっくりと丹念に熱を煽る動きが、もどかしい。
「……あ」
 ふいに小さい声が上げる。男が青年を見下ろせば、どこか一点を見つめていた。それに倣って視線を向ければ、見つめていたのは時計。もうすぐ日付が変わろうかという時間だ。
「坂上……?」
 男が名前を呼べば、背中に回していた腕の指先が口元に添えられる。静かに、という意味なのだろう。
 時計がジャスト零時、日付が変わったことを告げると、青年はくるりと顔を男へと向ける。
「舟水さん、『おめでとう』って言ってくれませんか?」
「なぜ?」
 青年が突拍子もないことを言い出すのは重々わかっていたが、今日とて突拍子もないことを言い出し、男は即答を返した。
「理由はちゃんと話しますから。ね……舟水さん?」
 どうやら時間的な問題があるのだろうか、青年は男を急かす。その眼は真剣さを帯びており、じっと見上げてくる。
 要求を突っぱねてもよかったが、おそらく青年もまた諦め悪く強請ってくるだろうことは理解できた。男はため息をつくと。
「『おめでとう』」
 なんの抑揚もない、棒読み状態で求められた言葉を発した。
 青年は瞼を何度か瞬かせ、じっくり男の『言葉』を噛みしめる。次第に頬が紅葉し、口元は緩み、瞳は嬉しそうにはにかむ。
 あからさまな表情の変化に、男は無表情のまま訝しむ。なにが嬉しいのか。その理由は聞けばわかることだと結論づけ、口を開こうとして。
 
 視界の天地がひっくり返った。
 
 気づけば、男のほうがベッドにその体を埋めていた。視線の先には、嬉しそうにはにかむ青年の顔。そのまま間を置かずに、今度は唇を塞がれる。絡みついてくる舌に応えれば、より一層深く絡まってきた。
 唇を重ね合わせ、互いの吐息を貪りあっていれば、ぬめったなにかが男の裡に触れる。視線を向ければ、青年の手にローションの容器が収まっており、それで濡らしたと思われる指が男の後孔を弄っている。たっぷりとローションを塗りこまれ、濡れた音が耳朶に触れた。
 唇が離れれば、熱い吐息が混ざり合う。
「……ふなずさん…………かわいい……」
 零れたつぶやきは熱に染まっている。
 青年は男の足を掴み、大きく開かせながら体を重ねる。そして満たしていく熱と質量。男の体は抵抗もなく受け入れた。
 軽く腰を揺すれば男の肩がぴくりと揺れる。感情露わにすることが乏しい男でも、体は素直に反応するらしい。その様子を確かめると、青年は激しく男の裡を攻め立てた。
 理由は結局聞けずじまい。まだ思考が冷静だった男は一先ず棚上げにして、いま与えられている熱を受け入れることにした。





 遠くから耳朶を擽る、機械的な音。まだ夜は明けきっておらず、冷えた空気が肌を撫でた。もぞりと布団の中から男が顔を出す。音を発信していたのはテーブルの上に置かれたままの携帯で、男のものではなかった。
「坂上、お前に電話だ」
「……んー」
 肩をゆすられ、青年は不機嫌そうに声を漏らす。携帯の音は一向に鳴り止まず、どうやら電話の送り主も青年が出るまで粘るようだ。眠気眼をこすりながら、しぶしぶ青年はベッドから這い出る。床に落ちていたシャツへ腕を通しながら発信者の名前を確認すれば、あからさまに青年はため息をついた。
 携帯を開き、耳を当てたとおもえば即座にスピーカー部分から耳を離す。なんと言っているかは聞き取れないが、少し離れた男の耳にも届くほどの音量だ。どうやら電話の主は大声で叫んでいるようだ。一方の青年は相槌を打ちつつも、どこか生返事だ。
 ひと通り話が終わったのか、通話が終わる。青年は折りたたみ式の携帯を閉じるとその場に置き、再びベッドの中へ、男の傍らへと潜り込んだ。
「すみません、こんな朝早くから起こしてしまって」
「電話、いいのか?」
「いいんです、親父でしたから。いま、クリスマス休暇で帰ってきてるんです。毎年毎年、一番最初にお祝いしたいとか言って。今年の一番は親父じゃないですけどね」
 相変わらず断片的な情報ばかり。わざと訝しむような視線を向ければ、翠玉色の瞳がじっと男を見返す。そして、照れくさそうに青年ははにかんだ。
「十二月二十五日――今日は、俺の誕生日なんです。だから一番は、舟水さんに祝って欲しくて。ちょっとズルしちゃいましたけど」
――なるほど。それがあの謎行動の真相というわけか。
 男は内心で納得する。
「……あの、もしかして……怒ってます?」
 理由も話さず一方的に強請ったことを自覚しているのか、青年は僅かに顔を曇らせる。なぜなら、男が無表情のままだからだ。
 男がそっと手を伸ばす。指先が青年の顎に触れ、そのまま上へ反らす。ゆっくりと落とされる帳の陰に、青年は目を細め。
「舟水さん……、んっ」
 まだ満ち足りない熱を求めて、唇を重ねあわせた。





 一方その頃。
「今年も一番に祝えたよぉ~由里音~」
 朝から亡き妻の写真に向かって、のろけ顔全開な男――ヴァージル。
 もちろん知る由もない。息子――斗樹へ本日最初の「おめでとう」を言ったのが、違う男だということは。

(2014/01/01)