街中を歩けば、甘ったるい香りがそこかしこから漂ってくる。なにかイベント事でもあっただろうかと、斗樹は足を止めてショーウィンドウを覗く。
 目にも鮮やかなピンクで彩られた、可愛らしいラッピングの数々。そして、甘い香りを放つチョコレートたち。
(あー……そうか)
 迫る日付を見て、納得した。



「というわけで、ご飯食べに行きましょう舟水さん!

……って、何やってるんですか?」
 身長差16センチ。斗樹が舟水と並ぶと、必然的に視線は上向きがちになる。ところが今日は違う。斗樹の視線は下を向いていた。
 目の前には、何故か電柱の影にうずくまっている舟水の姿。ふと、脳裏を舟水と同じ幻楼社に勤める趙と名乗った青年がよぎった。そういえば、あの人もこんなふうに隠れていたっけ。どうみても怪しさ極まりない。
 ひょいと、斗樹は舟水が見ていた先をその頭上から覗き見る。視線の先には、一人の青年が歩いていた。布に包まれた棒状のようなものを肩に担ぐ長身。ありふれた服装だが、前髪の片側だけが長いのがわかる。
 そして、遠目でもわかった。同業者、同じ『術師』だ。可愛らしい、それでいて慎ましやかなワンピをきた少女(幼女?)を伴っているが、少女もまた人間ではない。おそらくは、使鬼だ。
「……坂上。眉がよってる」
 はたりと、斗樹は目を瞬かせる。どうやら、機嫌が顔に出ていたらしい。
 玄野流。おそらく、あの二人はそこに属するのだろう。
 斗樹は玄野に対して、あまりいい感情は持っていない。玄野と白銀の相性が良くないというのもあるが、それもこれも因縁の相手が玄野にいるからだ。
 以前、舟水の口から玄野の名が出た瞬間、あからさまに不機嫌になったこともある。普段なら、愛想笑いで聞き流せるのだが、やはり舟水が側にいると気が緩むらしい。
「……お知り合いですか?」
 斗樹の声色には、不機嫌さがにじみ出ていた。
「たぶんな。もう十年も前の話だ」
 それでもこんなふうに、思わず隠れてしまうということは、あまり会いたくないということなのだろう。舟水にも舟水の事情がある。聞いてみたい欲求はあったが、斗樹はあえて口を噤んだ。
 青年少女が遠ざかり、その背中がようやく見えなくなってから舟水は立ち上がる。
「それで今日は? さっき、何か言ってたようだが」
「だから、ご飯一緒に食べに行きましょう? おごりますから」
 暫くの沈黙。
「何故?」
「久しぶりに大きな臨時収入が入ったんです。美味しいお店の場所も聞いてきました」
「いや、そうじゃなくて」
 話が噛み合わない、そう判断したのだろう。舟水は暫く考え事でもしているかのように、無言になる。一方の斗樹は、はて?と首を傾げた。
「舟水さん?」
「『食べる』のはかまわない。だが、何故『今日』なんだ」
 それを言ったら普段だってそうだ。そんなに頻度が高いわけではないが、斗樹はよく舟水を誘いに来る。その行き先も様々だ。食事だったり、バーで一杯だったり。ただのんびりと時間を過ごすこともある。
 舟水はそれらと同じだと思ったのだろう。『同じ』なわりには、随分と今日の斗樹は浮かれている。それが気にかかったのか。
 今度は、斗樹のほうが無言になった。
「え……舟水さん、『今日』が何の日か……まさか気づいてないんですか?」
 浮かれていた斗樹の表情が一変して、驚愕に彩られる。
「二月十四日、バレンタインですよ?」
 バレンタイン。世に言う、愛する人へ贈り物をする日。日本での贈り物はいまだ、チョコレートが主流だ。
 まだまだ日本に不慣れとはいえ、舟水も覚えがないわけではなかったようだ。バレンタインデーは世界共通だ。
「最初は迷ったんですよ、なにかあげたほうがいいかなって。でも、あげたらそれで終わりって、味気ないじゃないですか。それだったら、一緒に美味しいもの食べに行ったほうが、いいなって」
 斗樹の表情は心底楽しそうだ。先を急ぐように、舟水の腕をひく。
 きっと、余所行きの顔しか知らない人は心底驚くだろう。どこか達観した姿はそこにはなく、歳相応それ以上に幼げに笑う斗樹の姿など。

「舟水さんっ」

 その名を重ねれば、重ねるほどに。幸せを噛み締める。



 Happy valentine!

(2013/02/14)